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菓子の歴史 伝統・習慣 独り言

 

人とお菓子の関わり。

 

お七夜 (新しく生まれた赤ちゃんに命名し、お祝いする日)

命名は、生後三日目から十四日目ぐらいに行われますが、七日目をお七夜とゆうように、この日に命名しお祝いをするのがほとんどです。

両親が命名した場合は、半紙などに命名した名前と生年月日を書き神棚や床の間の柱に貼り、わが子の出生を祝い前途の幸せを祈ります。この祝いを、名開き 名披露という地方もあります。

 

お宮参り (新生児が氏子の仲間入りをする儀式であった)

子供が生まれて初めての神事で、産土神(うぶすながみ)にお参りする行事です。初宮参りとか産明けともいい、赤ちゃんを授かったお礼と、子供の無事な成長を祈ります。

お宮参りの日は、早いところで七日目、遅いところで百日目というところもあります。多くは男子が三十日目、女子が三十一日目、あるいは男子が三十二日目、女子が三十三日目とする例が多いようです。(三十日前後ころは産の忌みが明ける時期で、初めて氏神に参ることが許されると考えられていました)

子供が氏子の仲間入りをする日でもありました神前でわざとつねって泣かせたり、神官が氏子札を渡したりするところもあり、ともに氏子入りを認めてもらうための儀式でした。

 

お食い初め (初めて物を食べて家族、親族の仲間入りをする儀式)

子供が誕生後、初めてご飯を食べる行事で、「この子が一生食べるものに困らないように」という願いが込められています。

生まれて百日目、あるいは百十日目か百二十日目に祝う儀式で、おはしぞめ、はしそろえ、百日(ももか)、はしたてなどと呼ばれています。祝の膳には、一般にお赤飯に尾頭つきの鯛を用意します。魚味祝(ぎょみいわい)真魚始(まなはじめ)まほの祝とも呼ばれています。また、膳の上に小石をのせておき、歯固めと呼んでいるところもあります。

 

七五三 (七歳は幼児期の終わりと考えられ男女児とも重要な時期であった)

三歳の男女児、三歳の男児、七歳の女児それぞれに晴れ着を着せて神社にお参りし、息災に成長したことのお礼を述べ、今後の健康と幸福を祈願します。民間の行事と中世の公家や武家の間で行われていた「袴着」「髪置」「帯解」の行事が一緒になり江戸時代に今日の祝い方が整いました。民間では、四歳のときに四つ身の着物を着せる「四つ身祝い」もありました。

十一月十五日に定められたのは、この日が収穫祭であり、氏神のまつりにあたるところから、子供の成長を祈願し同時にその成長を社会に認めてもらうことにありました。神社にお参りの後、親族などに千歳飴を配り、祝の膳を囲むのが一般的な祝です。

千歳飴は、元和年中(1615〜24)に大阪で考案された。豊臣の家臣平野甚右衛門によるもので、江戸へ出て浅草寺境内で売ったのが始まりで、長寿飴とも呼ばれています。

 

成人式 (大人の仲間入りに、昔はさまざまな資格試験があった)

子供から大人の仲間入りをする、きわめて大きな意味を持つ儀式です。儀式そのものは、家族間で行われる私的なものと、村の人の前集団的に行われる公的なものがありました。

元服、鳥帽子の祝、初冠、初元結、褌祝(へこいわい)、ゆもじ祝があり、大別すると頭部装飾型、腰部装飾型、身体装飾型があり、それぞれに、元服親、鳥帽子親、褌親、前髪親など、儀式での仮親が立てられたものです。

成人の儀式を済ませると、公私ともに一人前とみなされさまざまな権利義務を得ることができることになります。

 

お披露目 (結婚したこと、社会に門出することを親戚、知人に広める儀式)

結婚式は、本人同士のぬ結びつきであると同時に家と家の結びつきでもありました。

挙式は家で行うもので、最もめでたい儀式とされ、床の間に神をまつり、神饌と神酒を供え、この神酒で固めの盃を交わすという厳粛なものです。式は陰の式といわれる三三九度の盃の後、陽の式の式三献が行われ、このとき、盃に色ものを使ったことから色直しの式と称したもので、それが現在の披露宴のお色直しになったものです。

お披露目は、盃事のあと、二人の婚姻によって姻戚となる両家の親類縁者が挨拶を交わし、知人、友人、近隣の人たちに紹介するため、ともども招いて食事を振舞うことです。

 

厄落とし (身にふりかかるであろう災厄を、ものや人を媒介にして避けた風習)

人の一生うち、ある特定の年齢は厄難の多い年として身を慎む習慣があります。厄年は、男が数え年十、二十五、四十二、六十一歳、女が十九、三十三、三十七歳といわれます。特に男四十二歳は「死に」、女三十三歳「さんざん」に通じることから大厄とさられ、その前後一年を前厄、後厄として特に忌み慎みます。

 

長寿

長寿の祝には、数え年六十一歳の還暦祝い、七十歳の古希、七十七歳の喜寿、八十歳の傘寿、八十一歳の半寿、八十八才の米寿、九十歳の卒寿、九十九才の白寿、百歳やさらに長寿の人を祝う上寿の祝があります。

還暦とは、十干十二支で暦が成り立っていた時代に、その組み合わせが六十年でちょうど一回りし、生まれた年の干支に還ることで、本卦還りとも言われています。

 

法要

法要は、法会、法事ともいい本来は仏教による故人の追善供養を行うことを言いますが現在では、宗教にかかわりなく、故人を偲んで行う忌日の御霊供養を意味するようになりました。一般に、一周忌までの法要と、年忌、回忌とに大別することが出来ます。

まず初七日の法要で一区切りをつけた後は、二七日(十四日目)、三七日(二十一日目)、四七日(二十八日目)の法要があります。五七日、三十五日の法要があり、故人が冥土で五回目の審判を受ける大切な日として、初七日同様手厚く法要を営みます。

七七日、四十九日は、仏教ではこの日の審判で運命が決まるといわれ、忌日のなかでも重要な日とされ、法要を営み、納骨を行う例が多く、一般にはこの日を忌明けといいます。以後百ヵ日の法要で一段落します。死亡した翌年の祥月命日に一周忌、その翌年に三回忌、以後七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌と回忌を重ねます。法要は御霊祭りと考え、結婚式同様、家で行ったものでした。

 

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